臓腑病機三、定式化-肝の疏泄② |
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三、臓腑病機定式化の時期-2
(一)肝の疏泄・・・二十世紀半ばに定式化・・・続き
(1) 現代中医学における「肝主疏泄」という肝の生理機能は、ごく最近定式化された。
・・・浅川氏のコラム(「中医臨床」1996,6月号)と戴昭宇論文(「中医臨床」1996,9月号)による。
(2) 疏泄という語は古くは運気七篇の五常政大論に見え、その後肝と疏泄を結びつけたのは朱丹渓であるが、今日の疏泄とは内容が違う。
現代の肝における疏泄の内容は、多岐にわたっている。(戴昭宇論文参考)
(3) 丹渓前後の『疏泄』・・・現代と異なる用法
①丹渓以前の疏泄・・・劉完素(1120—1200)が原病式・火類の中で
「腠理疏泄」という使い方をしている。
腠理における衛気の疏泄である。
②丹渓以後でも、弟子の載原礼は
「蒼朮尤能径入緒経、疏泄陽明之湿」と、
肝とかかわりのない使い方をしている例がある。
『推求師意』1396著
巻之下・火
「况蒼朮能径入緒経、疏泄陽明之湿、此六欝薬之凡例、升降消導、皆自『内経』変而致之、・・・」
(4) 情志の調節と肝の関係
情志と肝の関係は明代以降に強まったが(1617刊の『医貫』の前後から)時代背景が関連していると考えられる。
一つは戦乱などのストレス(明末)。
もう一つは逆に安定した治世における別のストレス(江戸期)。
日本でも江戸時代には、気鬱や肝と情志鬱滞のかかわりが意識されるようになっている。
例えば、
『先哲医談』所収の後藤艮山(1659-1733)、
『一本堂行余医言』香川修庵(1683-1755)、
『漫遊雑記』永富独嘯庵(1732-1766)、
『蕉窓雑話』和田東郭(1743-1803)、
などにおいて肝と鬱が言及されている。
彼らは、それぞれが一様に「泰平の世では気病・気鬱・滞結・肝気抑鬱などが多くなる」という認識をしていた。
参考《江戸時代》
後藤艮山(1659~1733)・
以下は 『先哲医談』(石山鍼灸医学社)より引用
「乱世の人、その気剽悍《荒く猛し》にして肝胆の気鬱少なし。
治世の人、その気遊情にして肝胆の気鬱多し。
故によろしく熊胆をもってその鬱を開き、肝胆の気を達せしむべし。」 (p48)
「およそ病は、六淫七情、飲食男女を論ぜず、みな一元気の鬱滞による。」(p51)
永富独嘯庵(1732~1766)『漫遊雑記』
「蓋し太平の日久しく、民庶蕃息、金銭虚耗、奢失日に盛んなるときは、則ち知巧の民、気を病むことを免れざるは勢いなり。」
(山崎正寿「肝と精神神経疾患」日本伝統鍼灸学会誌53号p4~5より)
和田東郭(1743~1803)
相見三郎『漢方の心身医学』所載p140~153
第九章・肝病(二)和田東郭の肝病論
①「昇平(太平無事)の日久しくつづくにより、諸人肝胆の気鬱して肝疾を患うこと海内一般なり。・・略・・・先ず肝経の疾に三種あり。思慮多決せず、肝気抑鬱して成るものあり。また腎元虧損するにつきて肝火聳動(騒がしく動く)するものあり。また先天より受け来る処の肝毒に因って成るものあり。」
②「人として此の肝気の脹りなきはなし。凡万事を成し遂るは皆此の肝気に因って成るなり。」
③「肝気抑鬱する時は必ず此れよりして火を生ずる故、其の火にて益々肝を動かすものなり。」
④「肝気の脹り随分強けれども,其の度量至って小さき人は,右の如く少しの亊にても見ながら打ち捨ておくことならずして,是非其の事を暫時の内に早くさっぱりと片付け,万事万物豆腐を切りたる如くせざれば心中穏やかならずして、むしゃくしゃと気むずかしくなりて堪え忍ばれぬ故なり。
・・・略・・・其の器至って小さき故、只其の肝気の脹りのみ強くしては,内に余裕なく,器につまり溢れて、ふりさわぎ出きざるを以って,早々に其の事を片付け,少しなりとも其の器をくつろがせたきゆえを以ってなり。」
香川修庵『一本堂行余医言』
栗山茂久「肩こり考」より・・・・二、滞りの病理学(『歴史の中の病と医学』思文閣出版1997所収)の注(26)
「方今泰平百有餘歳。四海又安。万民豊饒。
人人遊情。過于飽暖。形耽(たん)逸楽。
心多労苦。抖擻精神於百年之蓄積。
困擾思慮於一生之活計。
加之貧婪于酒食。沈溺于房閨。
元気何得不疲乎奔命哉。気已疲。
則運輸自不得不遅緩。而滞結乃生焉。
是故今乃時乃人。不問貴賎貧富莫不結癥瘕與疝者。
職此之由也。
吾門諄諄専唱癥疝者直験今日乃人而然也。
・・・・但貧賤而役役平拮据歩走者。
患之至少。間有之亦軽。
富貴而汲汲平飽暖怠逸者。莫不患之。
其間無者百中乃一二耳。」
(大塚敬節・矢数道明編『近世漢方医学書集成』第六十五巻)
抖擻(とそう)・・・ふるう・はらう 擾(じょう)・・・みだれる婪(らん)・・・むさぼる
この項終わり