腎気上攻の文献研究Ⅲ文献解説-1 |
《要旨》
一、腎気上攻(攻背)
二、 腎虚・邪在腎・督脈と気逆(一)腎と気逆三、『資生経』1165の背痛
(二)督脈と気逆(一) 作労による背痛四、上背部痛の病機表現
(二)膏肓による診断と治療
五、病機分類の深化・・・・寒熱と邪の種類
注一、上逆のルート(従背・従腹など)
Ⅲ、文献の解説
背痛と腎気上攻 (腎気攻背)について
《要旨》
一、文献上での腎気上攻(腎気攻背)の初出は、
おそらく『普済本事方』(許叔微1143)であろう。
二、「腎虚」「邪在腎」「督脈」と、
「上逆」ないし「背痛」は関係が深い。
三、『鍼灸資生経』(1165)で王贄中は
作労(技芸之人・士女刻苦)による背痛に触れている。
その一部は腎気上攻の背痛として解釈できる。
膏肓が診断点(圧痛)でかつ治療点(灸)でもあり、
気滞血瘀と虚労による背痛に対応している。
四、腎虚にかかわる背痛(含む項痛・項強・頭痛・足痛)の病機は、
腎気逆上・などと呼ばれている。
腎気不通(不上達)・
腎気逆攻
五、明から清にかけて、腎虚による背痛と上逆の病機は、より詳細に寒熱虚実が分析された。
(1)正虚と寒熱
①背寒痛(陽虚)(2)邪の種類
②背熱痛(陰虚)
①外邪(風・寒・冷・湿・陰邪)
②地気・濁気
注一「「上逆する気のルート」について
(従背・従腹・自小腹下起而上など・喩昌・葉天士・林珮琴・陳言・尤在涇)
一、腎気上攻(攻背)
『普済本事方』1143において、腎気上攻・腎気攻背は「項背不能転側」「項強」の病機名(腎虚によっておる気逆)として扱われている。
多紀元堅『雑病広要』も『本事方』から引用しているものが一番古いので、おそらくこれが文献上の初出だろう。
(備急千金要方を探したが、腎気攻背項強一証というのはまだ確認できない)
清代の張璐・葉天士、林珮琴などは、頭痛・肩痛・背痛・足痛も腎気上攻 (攻背)・腎虚気逆に含めている。(後出)
『普済本事方』・巻二・肺腎経病・椒附散
「治腎気上攻、項背不能転側。
・・・・予嘗憶《『千金方』》有腎気攻背項強一証。予
処此方与之、両服頓差。」
腎虚による気逆で、頭痛が起こる場合もある。
巻二・頭痛頭暈方・玉真圓
「玉真圓・治腎気不足、気逆上行、頭痛不可忍、謂之腎厥、其脉挙之則弦、按之石堅。
硫黄二両、石膏(硬者不○、研)、半夏(湯浸洗七次)、各一両、消石一分、
研上為細末、研均、生姜汁糊圓如梧子大、陰干。
服三十圓、姜湯或米飮下、
更灸関元穴百壮、『良方』中硫黄圓亦佳。」 ○=火+段
二、 腎虚・邪在腎・督脈と気逆
古くから、腎虚や腎の邪気あるいは督脉の病は、肩背痛や逆気・上衝を引き起こすことが知られている。
(一)腎と気逆
『霊枢』五邪第二十
「邪在腎、則病骨痛陰痺。
陰痺者、按之而不得、腹脹腰痛、大便難、肩背頚項痛、時眩。
取湧泉、崑崙、視血者尽取之。」
『備急千金要方』(625)巻第十九・腎臓
「腎気虚則厥逆、実則張満、四肢正黒。」
『中蔵経』・巻中・論腎臓虚実寒熱順逆生死之法第三十
「腎病、手足逆冷、面赤目黄、小便不禁、骨節煩痛、小腹結痛、気上衝心、脉当沈細而滑、今反浮大而緩、其色当黒、其今反者、是土来克水、為大逆、十死不治也。」
「陰邪入腎則骨痛、腰上引項脊背疼、此皆挙重用力及遇房汗出、当風浴水、或久立則傷腎也。」
許叔微『普済本事方』巻二・頭痛頭暈方・玉真圓
「玉真圓・治腎気不足、気逆上行、頭痛不可忍、謂之腎厥。」
楊士瀛(えい)『仁斎直指方』(1264)
巻二・胸脇痛引背上、頭面両手浮腫(腎不納気による気逆)
「腎虚不能納気、気逆而上奔、故胸膈満痛、以手摩○、痛走背上、又従背摩○、則其気循脇泄于後、分而痛不作矣。・・・」○=沙の下に手
林珮琴『類証治裁』 (1851)巻六・肩背手臂痛
「(経)又曰、邪在腎、則肩背痛、是腎気上逆也。」
「(経)又曰、邪在腎、則肩背痛」・・・これは『霊枢』五邪第二十のことだろう。
五邪第二十の記載内容を、林珮琴は腎気上逆と解釈している。
後出の四(二)にあるように王肯堂『雑病証治準縄』も『霊枢』の同じ部分を引用して「是腎気逆上而痛也」といっている。
(二)督脈と気逆
督脉の病も、「從少腹上、衝心而痛」といった、上衝や上逆を引き起こす。
『素問』骨空論(60)
「督脉爲病、脊強反折。
・・・・・・此生病、從少腹上、衝心而痛、不得前後、爲衝疝。
其女子不孕、癃、痔、遺溺、嗌乾。
督脉生病治督脉、治在骨上、甚者在齊下營。」
三、『資生経』1165の背痛
(一) 作労による背痛
王贄中は「技芸之人」「士女刻苦者」に背痛が多いという。王贄中『鍼灸資生経』(1165)
第五・背痛
「背痛乃作労所致。
技芸之人、与士女刻苦者、多有此患。」
第五・肩背酸痛
「肩背酸痛、諸家鍼灸之詳矣、当随病証鍼灸之。
或背上先痛、遂牽引肩上痛者、乃是膏盲爲患。
《千金》《外台》固言”按之、自覚牽引肩中是也”、
当灸膏盲兪、則肩背自不疼。」
技芸之人は、手作業や身体の同じ動作を多くする職人・芸人などのことだろうから、主に気滞血瘀による背痛だろう。
刻苦者というのは、現代の日本人のように働き過ぎ(働かされすぎ)の人だろうか。
こちらは虚労や肝腎不足が主だろう。
つまり作労は、気滞血瘀と腎虚を起こすと考えられる。
(王肯堂や張璐は、「観書・対弈・久坐」でも背痛になることがあり、その場合は補中益気湯やその加減方で治療すると言っている。
読書や囲碁(弈エキ)で座りっぱなしというのは気虚と気滞血瘀を生じる。
座りっぱなしの技芸之人は、こちらのタイプになるかもしれない。)
(二)膏肓による診断と治療
膏肓が診断点・治療点となっている。膏肓は虚労によく使う穴でもあり、やはり腎虚と背痛の関係が示唆され、王贄中のいう背痛の一部は「腎気上攻の背痛」と解釈できる。
『資生経』第四・喘の肺兪などにも見られるように、背部の穴の圧痛を重視するのは『資生経』の特徴だろうか。
膏盲の場合も圧痛を重視している。
これは経験に基づいているのだろう。
「或背上先痛、遂牽引肩上痛者、乃是膏盲爲患」「背→肩という順で憎悪するコリや痛みは膏肓に問題がある」というのも、日ごろの臨床経験とよく合致する。
しかし気滞血瘀が中心なら膏肓だけで対応できるが、虚労があれば補腎も必要だろう。