伝統医学とGNH-⑨二、人間学の必要性 |
一、チベット医学について
二、人間学の必要性
1、総合的な「人間学」と「社会学」の必要性三、伝統医学と近代医学の特徴・・・社会基盤と制度
2、人間学について
3、人間学の一つの例・・・層構造の人間(1)ヨーロッパの場合・・・人性三分説
(2)古代中国とギリシア
二、人間学の必要性
1、総合的な「人間学」と「社会学」の必要性
石田秀美氏が2002年の伝統鍼灸学会の公演で、伝統鍼灸大学の構想を提唱された。
それは①古典研究という三つのセクションからなるものである。
②技術の伝承研究
③理論研究(科学史を踏まえた)
これに更に④人間についての研究も加わると、よりいっそう
⑤社会学的研究や制度論の視点「近代以降における伝統医学」の役割が明らかになってくると思う。以下は④と⑤について、そのいくつかの例である。
2、人間学について
近代医学がより所としている近代自然科学は、
複雑な自然界や、人間に関するものごとの、ごく一部を説明できるだけである。
このことは、科学論などの研究であきらかにされている。
そして近・現代医学は、
人間を扱うがゆえに、自然科学の方法を完全には用いることができない。
近代医学と伝統医学は、
扱う「人間の見方」がまるで違うため、各自の理論を以てしては互いを理解しあえないと思われる。
今後は、「人間や生命とはいったいどういうものなのか」ということについて、近代以前(あるいは以外)の知恵も視野に入れた「人間学」が必要になると思う。
そういった目で近・現代医学と伝統医学を俯瞰し、それぞれの役割を見直すことが必要だろう。
たとえば仏教医学の病因論や人間観は、時間や因果論の観点からそういった「人間学」に寄与することができると思う。
またキリスト教的な直線的な時間を生きる人々と、生と死に関する考え方は大変違う。
輪廻を生きる人々とでは、
3、人間学の一つの例・・・層構造の人間
ここでは一例として人間の存在の仕方について、人間を層構造で見る見方を紹介する。
人間は、以下のような「重層的な存在」として、「社会」と「環境」の中で、生きているといえる。
(1).ヨーロッパの場合・・・人性三分説
近代以前のヨーロッパを初め、ギリシア・ローマも含めて古代には、
人間の存在を、身体・心魂・精神(霊性)の三つの層から成ると考える「人性三分説」が伝統的に認められていた。
二元論や・唯物論は古くからあるが、近代以降には身心二元論や、唯物論が台頭する。
唯物論(一元論)と、身心二元論と、身・心・霊の三元論ではものの考え方が大きく違ってくる。
伝統医学にかかわる思想においては、生命力を認める「生気論」の立場が支配的であり、人間を多層の構造を持つものとして捉える見方が支配的である。
最近WHOで健康の定義に「霊的な」という表現が検討され、結局見送られたそうだが、「霊的な」いう言葉はヨーロッパのではスピリットやガイストに当たるだろうと思う。
三分説をもとにして、人間と医学や宗教の関係を見ると、図1のようになになるだろう。
図1・人性三分説と医学・宗教の関係
(2).古代中国とギリシア
古代では荀子とアリストテレスの生命観もまた参考になるだろう。
荀子(BC3)は王制篇で、無生物・植物・動物・人間を、気・生・知・義の四層で区分した。
一方アリストテレスは、生命を持つもの全てにanima(心魂)を認め、その働きを三つに分類した。
両者を比べてみると、似たような考え方であることがわかる。