鳥がトリになるとき、人がヒトになるとき・・・仁斎の「道=人」-2 |
人間とは・仁斎の「道=人」-2
(1) 生物学と食糧産業
(2) どこで道を踏み外したのか・・・関係性と質のはく奪
(3)ワクチンを全国民に接種・・・ヒトに対する態度
(1) 生物学と食糧産業
以前、人間とは・仁斎の「道=人」・・・参考インフルエンザワクチン
2012年 03月 07日に、こう書いた。
「今日の主流派経済学が
その理論において前提としているような、
特定の人間関係から切り離されて独立した
原子のような個人などは、
仁斎に言わせれば、人間ではないということだ。」
これの主流派経済学を、
近代西洋医学と置き換えて読んでみるとよい。
いまの西洋医学は、人間を扱ってはいない。
強毒性新型インフル予測時、全国民に予防接種へ
(2012年3月6日14時36分 読売新聞)
こういうことは、人間に対してすることではない。
トリかブタのような扱いだ。
(トリやブタに対する扱いもまた道を外れてると思うが・・・)
鳥や豚は、近代科学の生物学が取り扱うと、トリやブタとなる。
近代的な食糧産業の一部として畜産業は、
生物学を応用してトリやブタに、ホルモン剤や抗生物質を与え、
同一種の個体を大量に飼育する。
昔、田舎の農家の庭先を走り回っていた鶏は、鳥だったといえる。
猟師が撃つ熊は、クマではなかった。
自然環境の中で生きている一匹の熊だった。
熊を撃ってさばくには、それなりの作法があったというではないか。
それが道に沿ったやり方なのだと思う。
(2) どこで道を踏み外したのか・・・関係性と質のはく奪
①関係性仁斎を読んだ中野 剛志は「今日の主流派経済学がその理論において前提としているような、特定の人間関係から切り離されて独立した原子のような個人などは、仁斎に言わせれば、人間ではないということだ。」といっている。
関係性をはく奪すること・・・この場合は自然と動物、動物と人間の関係性を無視してしまうことで、鳥はトリになってしまうのではないか。
人も同じように、関係性を無視して扱われると、
ヒトになってしまう。
人は、動物と同じく自然環境の中に住み、さらに社会という環境も作り出してその中に住んでいる。
そういった環境の中の関係性を含む存在を、仁斎は人間と言ったのだろう。
②質的なものもう一つ、
質的なものを無視し、量に還元してしまうと、
鳥はトリになってしまうのではないか。
そしてまた、
人は数として数えられると、ヒトになるのではないか。
番号をつけ、数量として扱うというのは、
近代科学のやり方だ。
(3)ワクチンを全国民に接種・・・ヒトに対する態度
インフルエンザワクチンを全国民に接種するというのは、
人間に対する態度ではなく、ヒトに対する態度だ。
トリやブタと同じように、人をヒトとして扱おうとしている。
(しかも効果より、害とコストのほうが懸念されて、
人々にはおよそ益がなさそうなものなのに・・・)
冒頭の引用では、そのことを言いたかった。
人間とは・仁斎の「道=人」-1・・・参考インフルエンザワクチン
鳥がトリになるとき、人がヒトになるとき・・・仁斎の「道=人」-2
近代医学 が扱うのはヒト・・・仁斎の「道=人」-3
伝統医学-関係性の中で人をみる・・・仁斎の「道=人」-4