時間と死生観 |
時間に関する考え方が違えば、死生観が違ってくる。
それは当然、医療・医学の思想にも影響を与える。
(1) 直線の時間と審判ヘブライ(ユダヤ・キリスト教)の時間は、
始まりがあり終わりがある。
生は一度きりであり、
世界の終末のとき神による審判が待っている。
未来から現在を意味づけする傾向があり、
自然のリズムは人間の行為の規範にはならない。
老いは価値を持たない。
(2) 循環する時間と輪廻インドや古代ギリシアの時間は、循環する。
ギリシアは
星辰の周行や季節の繰り返しなどから
循環し無限に回帰する時間
(自分の尾をかむヘビで象徴される)
そして宇宙を考えた。
インドでは、カルマによって転生する生は一度とは限らない。
チベット医学においてカルマは、
鬼神・悪霊、日常生活の不正とともに
病因論の一つに数えられている。
中国には輪廻の思想は根づかなかった。
中国の時間は、
循環しながらどこまでも“らせん”状に進んでいく。
自然は、微妙に揺らぎながら法則性をもって循環する。
その法則に法って人間は生きるべきだと考える。
老いることはある意味成熟である。