二つの火-3 太陽の火-① |
第四章 二つの火・・・項目番号は引用者による
一、着想の現場 151
二、昌益は誰を批判しているのか 155
三、太陽の火 158
四、日用の火 162
五、龍火・陰火・天火 164
六、本気と余気 168・・・(注・芳村恂益『二火弁妄』1715に触れている)
七、人火、石木の火 171
八、連続と不連続 174
九、太陽の徳 189
君火を太陽の火とみなす張介賓の説は、
君主・宰相という政治的側面を強くは打ちださない。
このことを昌益のほうからながめてみよう。
君火・相火を批判するとき、
昌益は政治的解釈のあからさまな王冰ではなく、
それをしりぞけた張介賓を念頭においていることになる。
なぜ昌益の批判は王冰ではなく張介賓にむかったのだろうか。
三、太陽の火-①
何を君火とし、何を相火とするかは、ひとや時代によってかなりばらつきがある。
ここではその全体をしめすことはしないで、昌益にかかわる範囲に絞って探索をすすめてみよう。
まず君火について。
君火を太陽の火とする説は、明の張介賓に見いだすことができる。
張介賓の『類経』を昌益が読んでいることはすでに明らかにしされている。
(注・略)
『類経』のなかに、張介賓はこう述べていた。「君火は上に居り、日の明たり。もって天道を照らす。
ゆえに人におけるや、心に属して神明ここに出づ。」
(巻二三・天元紀)
これは『素問』天元紀大論、「君火以明、相火以位」に対する注の一部である。
張介賓にとって、君火は太陽、とりわれその明るさである。(同前)
ちなみに「神明ここに出づ」は『素問』『素問』霊蘭秘典論の言葉。「心は君主の官なり。神明ここに出づ」。
ところでこの「君火以明」は、王冰が「君火以名」と読みかえたものだった。
この読みかえを張介賓は取らない。「これ明字をもって改めて名字とするは、張介賓によれば、王冰以降の説はみなこれにしたがい、「大いに先聖至要の旨を失」っているという (同前)。
すなわち殊に然らずとなす。」
君火を太陽の火とみなす張介賓の説は、
君主・宰相という政治的側面を強くは打ちださない。
このことを昌益のほうからながめてみよう。
君火・相火を批判するとき、昌益は政治的解釈のあからさまな王冰ではなく、
それをしりぞけた張介賓を念頭においていることになる。
なぜ昌益の批判は王冰ではなく張介賓にむかったのだろうか。
・・・略・・・
張介賓による上下の区別の強調が、昌益の批判を招いたと考えることも不可能ではない。
しかし、べつの可能性も考えられよう。
張介賓にあって王冰にない要素が、昌益の目をひいたという事もありうる。
そのような要素として、直ちに気づくのは『易』である。
『易』は王冰にほとんどみられないのに対して、張介賓はしばしばそれを援用する。
「君火以明、相火以位」の注にいう。「上は離に応ず。陽、外にあり。ゆえに君火は明をもってす。下は坎に応ず。陽、内にあり。ゆえに相火は位をもってす」離は『易』の八卦のひとつ、☲である。
(同前)。
張介賓によれば、離においては内側が隂、外側が陽。
だから明るいというのである。
一方、坎は☵。離のときと逆に、内側が陽で、外側が陰である。
つづく
二つの火-1・・・小林博行『食の思想―安藤昌益』
二つの火-2・・・昌益は誰の説を念頭に置いているのか
補足・二つの火-2・・・運気論の緒篇は十世紀初頭の創作らしい・
二つの火-3 太陽の火-①
二つの火-4 太陽の火-②
補足・二つの火-2
二つの火-5 日用の火
二つの火-6 龍火・陰火・天火①
二つの火-7 龍火・陰火・天火②
二つの火-8 龍火・陰火・天火③
二つの火-9 本気と余気 ①
二つの火-10 本気と余気 ②
二つの火-11 本気と余気 ③
二つの火-12 人火、石木の火 ①
訂正・・・二つの火-12 人火、石木の火 ①
二つの火-13 人火、石木の火 ②
二つの火-14 連続と不連続 ①
二つの火-15 連続と不連続 ②
二つの火-16 連続と不連続 ③
二つの火-17 太陽の徳 ①
二つの火-18 太陽の徳 ②