十字五行から星形五行へ変化した理由・・・西岡由記 「『難経』に罪はない」 |
五臓の上下・左右・・・十字の五行
中国医学の思考方法・・・《気と、陰陽・三才・五行》
の補足資料・・・
以下の西岡論文では「陰陽論と五行論の関係」について、文献資料に基づいて「歴史的な経緯」が説明されている。
「中央土の五行」
「十字型の五行から星形の五行へ変化した理由」
西岡由記
「『難経』に罪はない」 季刊『内経』2008年春号 No.170
以下は、上記論文の「三、『五行説』―具象から抽象へ」のうち(四) 中央土の五行p10と、からの抜粋引用。小項目は省略。*=引用者
(五)「土」の概念の変遷p12
「・・・では鄒衍が新しく唱えた「陰陽主運説」とはなんだったのでしょう。
それは四季に応じて為政者の行うべきことを定めた政治理論です。
その特徴は五行を方位と結合させ、五行のうち第一の重要性を持つ土を中央として他の四行を東西南北及び季節(引用注・春夏秋冬)に配当したものです。・・・略
鄒衍の論は『管子』四時篇や幼管篇に現存しており、・・・略・・・『管子』四時篇は方位・日月・陰陽・四時が五行と結びついたもので、島先生*1をして「最も原始的なもので、あれくらい素朴な五行思想を書いたものはありません。」と言わしめています。・・・l略
この「中央土」の考え方は『素問』『霊枢』でも垣間見え、「中央爲土」が『素問』
「中央土」
「中央」陰陽応象大論、『霊枢』では五色にあります。
金匱真言論、
玉機真蔵論、
異法方宜論、
太陰陽明論、
気交変大論に、
また「中洲」は『霊枢』九鍼篇、『霊枢』九針十二原と陰陽繋日月にある「陰中至陰」を脾とする考え方も同じだと思います。
「中宮」は『霊枢』九宮八風篇、
「中太宮土運」が六元正紀論*2です。
・・・略
「中央土」を基礎とする十字型の本来の五行が、今私たちが接する五行形や星形の五行にどうして変わってきたのでしょう。
これについては暦の問題が絡んでくるようです。
簡単にいうと、十字型の四方向はそのまま四季に配当できます。
しかし五行にあてはめようとすると困ります。
鄒衍は「土」を特定の時節ではなく、四時を「実して四時を輔け入出す。」としか言っていないのです。
その「入出」が「いつ」、「どれくらいの期間」かが問題になります。
それには、①四季の末に置く説、そして
②四季の中央、つまり春夏と秋冬の間に置く説、
③季夏とする説、以上が鼎立しました。④季夏と孟秋の時期、つまり「土用」に置く説も出て、これは後漢の『白虎通義』に載っています。
略・・・「土」は結局どうなったかというと、四季の終わりの十八日間が「土王の日」ということで決着しました。これは劉歆の説です。」
以上、引用おわり
*1島邦男『五行思想と禮記月令の研究』(汲古書院1971)
*2六元正紀大論は『素問』七十一
十字五行から星形五行へ変化した理由・・・西岡由記 「『難経』に罪はない」
五行と陰陽の関係・・・西岡由記 「『難経』に罪はない」