いまだに邦訳は出ていないようだ・・・キャロル・キグリー「悲劇と希望」 |
いまだに邦訳は出ていないようだ・・・。
キャロル・キグリー「悲劇と希望」
Tragedy & Hope: A History of the World in Our Time
書評・・・いくつか目についたもの
2008年 05月 22日これはアマゾン(日本版)に投稿したものに加筆を加えた書評である。【短評】 キャロル・キグレー『悲劇と希望』
日本人が知らない 恐るべき真実
次にご紹介する重要文献は1966年に公刊され、「世界の権力構造を解明した作品」と称されたキャロル・キグリー博士の『悲劇と希望(Tragedy and Hope)』です。
キャロル・キグリー博士は、学生時代のビル・クリントンの指導教授であり、ハーバード大学教授、プリンストン大学教授から国務省のキャリア外交官を育成するエリートコース、ジョージタウン大学の外交学科歴史学教授という経歴をもつ、自他ともに認める“エスタブリッシュメント”の学者です。『悲劇と希望』というタイトルの意味は、「国際銀行家が支配する世界こそ“希望”であり、それに抗う人々は“悲劇”である」というところからきています。
この『悲劇と希望』は1300ぺージもあり、まだ翻訳本がなく、私にはこの大書を読みこなしたり、翻訳できるだけの英語力がないので、この『悲劇と希望』から引用し、解説・注釈を加えた批判本『世界の歴史をカネで動かす男たち』(W・クレオン・スクーセン著)から、“インサイダー”であるキグリー博士が暴露した内容をご紹介していきたいと思います。
ちなみに『世界の歴史をカネで動かす男たち』の著者であるスクーセン氏は、16年間、FBI(連邦捜査局)に在職、4年に及ぶ警察署長、10年に及ぶ警察雑誌編集長、17年に及ぶ大学教授といった経歴をもつ米国人文筆家・政治評論家です。本書の原書『裸の資本主義者(Naked Capitalist)』は1970年に出版されています。
〈金融資本主義権力が抱く遠大な計画は、各国の政治体系と全世界の経済をみずから牛耳ることができる世界的な金融支配体制の構築に他ならない。〉
〈少数の人間が潮の流れを戻そうとしても手遅れである。〉
〈私がこのネットワークの活動に通暁しているのは、20年におよぶ調査の賜物であり、1960年代初頭の2年間、彼らの極秘文書や記録を調査する許可をもらったからである。私はネットワーク自体もその目的のほとんども嫌いではないし、ながらくネットワークの中核メンバーやその手先と関わってきた。私は昔も今も、彼らの方針に反対している。しかし、意見の食い違いは、ネットワークが闇の存在でいたいと願ういっぽうで、歴史上きわめて重要な役割を果たしているのだから存在を公にするべきであると私が思い込んでいることくらいのものだ。〉
〈早晩彼らは、自分たちの金融ネットワークを各地の中心銀行に持ち込んで商業銀行や貯蓄銀行として組織し、保険会社並にこうした銀行を一括してひとつの国際金融システムをつくりあげる。そして、政府へあるいは産業へと、支配は無理としても影響力を行使できるように資金の量と流れを操作する。この当事者は-国際銀行家王国の確立を熱望した。そして、少なくとも政治支配者王国並みの成功を収めたといえよう。〉
〈こうした王国で最大なのは、もちろん、フランクフルトのマイヤー・アムシェル・ロスチャイルドの末裔である。彼の男系の子孫は少なくとも二世代間は、最初にできた女性の従姉妹あるいは姪と結婚する“ならわし”だった。ロスチャイルドの五人の息子はフランクフルトのみならず、ウィーン、ロンドン、ナポリ、パリに支店を創設して協力し合った。他の国際銀行家王国も見習ったものの、とうてい彼らに及ばなかった。
こうした銀行一族の名前は誰でも知っているし、もっと身近な存在といえよう。例えば、ベアリング、ラザード、アーランガー、ウォーバーグ、シュロダー、シーリングマン、シュパイヤーズ、ミラボー、マレット、フォールド、前述のロスチャイルド、モルガンである。〉
※ロスチャイルド家について詳しくはこちらへ
〈彼らは次の点で普通の銀行家とちがう。
(1)彼らは世界主義かつ国際主義の立場をとる。
(2)政府と癒着し、政府の負債問題にきわめて関心が高い。
(3)彼らの関心の的は債券であり、実際の商品にはあまり関心を示さない。
(4)したがって彼らは熱烈なデフレ支持者である。
(5)彼らは徹底的に秘密主義を貫き、政界の裏に財政的影響力をもつ。
こうした銀行家が「国際銀行家」と呼ばれるに至った。イギリスでは「マーチャントバンカー」、フランスでは「プライベートバンカー」、米国では「投資銀行家」として厳密に区別されている。世界各地で彼らはさまざまな銀行業務や為替業務をおこなったが、どの場所でも他の銀行-もっとはっきりいえば貯蓄銀行や商業銀行-とは一線を画していた。〉
〈債券は、英国が世界支配の道具として用いるはるか以前からイタリア人やオランダ人に知られていた。にもかかわらず、1694年にウィリアム・パターソンと彼の友人たちの手になるイングランド銀行の設立は、世界史に燦然と輝く出来事である。
金の唯一の欠点である重さを解消しようとする努力が何世代間も続けられ、金の価値に対応する紙幣を使うようになった。今日ではそうした紙幣を「金証券」と呼ぶ。
この証券には持参金の要求に応じて金と交換できる価値があるが、紙幣を使う方が便利なので証券の所有者が交換を要求したためしはめったになかった。支払いに充てられる証券の一部の量の金だけ手元にあればいいということがすぐに判明した。したがって、残りの金を事業やそれ相応の目的に使うことができた。しかも、証券の量は支払い用に貯えてある金の量より多く発行できた-。準備金に対してそれ以上の支払いを請求できる紙幣は現在、「銀行券」と呼ばれている。
供給できる準備高より紙幣銀行券に対する需要量が多いということは、銀行家が無から現金をつくりだしていることを意味する。同じことが別の方法でもできた-。預金銀行家は、預金から預金者が引き出して第三者に与える為替や小切手の大半が、第三者によって現金化されないまま口座に預金されることに気がついた。そうすると、資金は実質的に動かず、支払いは口座間取引だけですんでしまう。したがって、銀行家は引き出されたり、現金化されたりする可能性のある預金額の一部よりも多額の資金(金、証券、約束手形)を手元に置いておく必要がなかった。その残りは貸付金に転用できる。もしこの貸付が借り手のためにつくられた預金(口座)でおこなわれれば、借り手は現金を引き出す代わりに小切手を切ることになる。
そのようにして“生み出された”預金あるいは貸付金は、貸付金の実質価値のわずか一部でも口座に預金があればそれなりに生まれることになる。こうして生み出された預金もまた無から資金をつくることができる。銀行家は業務内容を隠したがるが、約束手形の発行あるいは預金貸付はこの範疇に入る。だからウィリアム・パターソンは、海賊艦隊で得た資金を活用するために1694年にイングランド銀行の設立許可を申請したとき、こう語った。「銀行は無からつくりだされたあらゆる資金の利息をかせげる」〉
〈イングランド銀行とその支配者の力は一流の識者たちからも認められた。1924年1月、大蔵大臣を務めたミッドランド・バンク理事長のレジナルド・マッケンナは株主を前にしてこう語った。「銀行がお金をつくることができる。そして、現実につくっていることが一般市民には気に入らないのではないかと心配だ-。そして、国債を支配している人々が政府の政策に横槍を入れて、国民の命運を完全に掌握している」〉
〈英国金融界の内部では「何を知っているか」よりも「誰を知っているか」ということがいまだに重要である。仕事は家族、結婚、学校とのつながりから得られる。知識や技能より、素性がはるかに重視される。〉
〈こうしたシステムの一部として英国金融界を牛耳っていたのは、堅調で裕福な企業に資金を提供する私企業の「マーチャントバンカー」17社だった。合計100人たらずの意欲的な共同経営者を抱えたこれらマーチャントバンカー企業として、ベアリング・ブラザーズ、N・M・ロスチャイルド、J・ヘンリー・シュローダー、モルガン・グレンフェル、ハンブロス、ラザード・ブラザーズが挙げられる。〉
〈1884年から1933年にかけては金融資本主義全盛の時代であり、一方では商業銀行や保険に、他方では鉄道や重工業に進出した投資銀行家が莫大な富を結集して、経済、政治、社会において存分に権力を振るうことができた。
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1880から1933年の期間に“大銀行”や“大企業”の大物が構築した金融支配構造は並外れて複雑だった。ある事業の活動領域に別の事業が展開され、両者が半独立的に連携し、全体として二つの経済、金融権力の頂点ができあがった。一方はニューヨークに本拠を置いてJ.P.モルガン商会が率い、他方はオハイオに本拠を置いてロックフェラー一族が率いた。この二つが協力すると-たいていはそうだったが-米国の経済界をほぼ支配できたし、政界もいいなりだった、少なくとも連邦レベルまでは〉
(つづく)
アキラのランド節
知的向上心ある心ある中流階級の子弟の「悲劇と希望」 [03/13/2006]
今日こそは短く書く。
昨日から、翻訳もしないで、3月末締め切りの論文の資料も全く読まず、ついつい読み始めてしまったのが、Carroll Quigley(1910-77)のTragedy and Hope(1966)です。本文だけで1113ページ(!)ある。貴重なる残り少ない3月の日々がこの本に占拠されそうだ。
Tragedy and Hopeは、厳密に言えば学術的な本ではないです。書誌も注もついてはいません。しかし、きちんとした歴史学者が自らの視座から書いたきちんとした近現代史です。硬派な文体で、無駄口はたたかず、きわめて明快簡潔で読みやすく、かつ内幕的情報もたっぷりという本が面白くないはずがないです。
・・・・・・・・・・以下略