蔡 焜燦(さい・こんさん)『台湾と日本精神』・・・後藤新平による台湾衛生政策 |
第二章の、後藤新平による台湾の衛生環境と医療の大改善にって、
伝染病が駆逐されたという記事は、
近代医学の社会医学としての優れた一面を表している。
p37台湾近代化の父「後藤新平」より抜粋(適宜改行した)
“1898年(明治31年)三月、陸軍次官・児玉源太郎が第四代台湾総督として着任。
総督の右腕となる「民政長官」として赴任してきたのが医学博士でもある後藤新平だった
後の南満州鉄道初代総裁、逓信大臣、内務大臣兼鉄道院総裁、東京市長など戦前の日本の要職を歴任した偉人である。
その後藤新平が台湾総督府民政長官に着任するや、多忙の児玉源太郎を助け、大規模な土地・人口調査を実施したうえで、道路・鉄道・水道・湾港等のインフラ整備をはじめ、台湾の衛生環境と医療の大改善など数々の大事業をやってのけたのだった。
台湾の上下水道箱の時代に整備され、その結果世界有数の伝染病源地だった台湾からマラリア、ペストをはじめ、あらゆる伝染病が消えていった。
それまでの台湾が統治の難しい土地であり続けた理由の一つにこの伝染病の存在が挙げられていたが、医師というバックグラウンドをもった後藤新平の登台で、長年の大問題に終止符がうたれた。
このことは、その後の台湾の発展に大きく寄与することになる。”