伝統医学とGNH-⑤二、小川康(ダラムサラ、メンツィーカン在学中) |
一、鎌田陽司
(NPO法人開発と未来工房代表・ネパール在住)
「ヒマラヤ伝統医学と地域の再生について」(英語)
二、小川康
(ダラムサラ、メンツィーカン在学中)
「ブータンの伝統医学が未来に貢献できることについて」(チベット語)(1)チベット医学の学習
(注*) 伝統医学の原点
(2) 「伝統医学の原点」・・・について
(注1)《現題における伝統医学の問題点》
1 伝統医学の現代的側面
2 近代以降の時代における伝統医学の課題
三、「刺絡のデモンストレーション」(日本語→→英通訳)
(石原克己・Todd Allen Raikes・矢田 修・山崎道広)
二、小川康(ダラムサラ、メンツィーカン在学中)
「ブータンの伝統医学が未来に貢献できることについて」(チベット語)
小川さんは2001年にインドのダラムサラにあるメンツィーカン(チベット医学・暦法大学)の試験を受けて、外国人で始めて入学した人です。
(チベット本土にあるメンツィーカンはラサにあって1915年の設立)
(1)チベット医学の学習
医者が時に命がけで自らの足で薬草を採取鑑別し、その土地の野外で無料の医療を行う、というメンツィーカンでのチベット医学学習のなかに「伝統医学の原点」(注*)があるのではないかと小川さんは語っていました。
≪チベット医学の学習の中に「伝統医学の原点」がある≫
学習の
50%は薬草実習、
20%は『ギュー・シ』の暗記、
30%は全寮制での生活の中にある
≪薬草実習≫
4000mの山岳地帯にテントでベースキャンプを張り、
教師と学生は早朝から夕方まで、
各自の直感と経験で探し回る。
断崖絶壁に生えた薬草を採取し、
50kgの荷物を背負いながら急流を下り、
時には命がけの仕事になる。
薬草は、三百種類ほどを鑑別する。
ベースキャンプでは、
「青空・無料診療所」を開き、現地の人に薬を処方する。
(注*) 伝統医学の原点
小川さんの話から読み取れる、チベット医学過程に見られる伝統医学の原点は、以下のようなものだろう。
1、一人の医者が
①薬物の取れる場所を知っており、
②自ら採取し、
③鑑別し、
④処方する。
2、診断・処方という「治療の全過程」を、
一人の医者が、
準備段階から一貫して行う。
3、治療の場所を選ばない
4、営利を目的としていない
(2) 「伝統医学の原点」・・・について
この小川さんの話は、日本にいると自覚しにくい「近・現代医学と伝統医学の、社会基盤の違い」に気づかせてくれました。
(後ほど詳述・・・補足三参照)
そして近代化した世界における「伝統医学」は、
実は「近代世界という異文化」と常に対面し続け、
「近代医学」との間で葛藤することを余儀なくされているのです。(注1)
(注1)《現題における伝統医学の問題点》
後藤修司氏は1991年に現代における統医学の三つの側面(図1)を指摘しており、これは今でも当てはまる。
図1-現代における統医学の三つの側面(後藤修司氏1991による)
①医療資源・・・WHOの活動や中国の国策
②自然療法・・・自然志向の関心の対象
③ライフスタイル・・・個人の生き方と結びついている
一方伝統医学には、
①近代国家が必要とする制度医学の面は希薄で、等もあるだろうと思う
②社会構造から病を捉える視点は不足しており、
③空海(補足一参照)が指摘するように伝統医学の方法自体のもつ限界
2 近代以降の時代における伝統医学の課題
それは、サブセッションで紹介した蒲田氏の取り組みのように、時代を意識したものにならざるをえない。図2
図2-近代以後の伝統医学の課題
a近代化された世界での、伝統医学の伝承そして再生
b伝統医学体系の中に、近代知をいかに取り込むか
c近代文明への、オルタナティブとしての伝統医学からの提言
単純に近代の病院制度や現行の保険医療制度の中に、
技術としての伝統医学を取り入れた場合は一定の効果は得られても、
本来得られるべき伝統医学の幅広い効果は得ることができないのではないかと思いう。
近代文明の生み出した病は、
かなりの部分が生活(ライフスタイル)の変化によって生じているので、
その点に触れることなく病院制度と保険制度のもとで生薬の処方のみを行えば、
生薬資源はあっという間に枯渇してしまうだろう。
伝統医学の背景にある思想自体を軸にして、
近代・現代の中に再生させる方法を考えなければならないと思う。
張錫純(1860--1933)が臨床で試みたように、
伝統医学の視点で近代医学の薬物の効能分類を行い、使いこなすことなども有用なことだと思う。