紹介・・・角屋明彦「中国医学の役割」-抜粋1 |
著者の角屋明彦という人が、どんな人なのかなど、詳しいことは全然わからないが
ここにメモする。
抜粋し、適宜改行した。
抜粋・角屋明彦「中国医学の役割」
(実践国文学41号~43号・・・推定1992-3月-9月,1993-3月)
第一節 中国医学の存在(実践国文学41号)
▼科学の域外にて
P101
“西欧近代医学は、西欧というひとつの地域に発祥し、その伝統の中で育まれ、しかもそれは科学に裏打ちされている。科学の持つ説得力は圧倒的であり、絶対的である。
その科学とは、・・・・絶えまぬ新化を繰り広げ・・・数多くの発見発明を行い・・・築きあげられてきた。
そこには所謂「アメーバからアインシュタインまで」の華々しい道筋がある。けれどもその道以外に他の道は無かったのであろうか。”
P102
“人間の叡智を結集して・・・前進してきた科学の道・・・別の観点から見れば、それはこの科学を生んだ母体としての西欧の文化と、それ以外の地域の多様な伝統文化との間の、知の淘汰の道程でもあったのである。
・・・・・・・この知の淘汰によって「科学」の域外に追いやられてしまった伝統文化の知をそのまま見捨てておいてよいものだろうか。
この点に関して、比較科学の伊東俊太郎は次のように言う。
「もともと「科学」(science<scio知る)とは語源の示すように一つの知の形態であり」近代科学もきわめてユニークな知の構造を示しているが、それ以前にも、またはそれ以外にも、さまざまな知の形態はありえた。
こうしたさまざまな形の知の営為が時代とともに発展し、影響しあい、変化し、補い合い、交代して今日までいたったのが、世界の科学史であり、たまたまこの三百年は、十七世紀にはじまる西欧的知の形態が、その特殊な内的構造のゆえに長所を発揮し、専ら拡大膨膨して来たというにすぎないのである。
従ってそれが未来永劫にわたって唯一絶対の人間の知のあり方であるという保障はどこにもない。・・・・」”
“この図(伊東俊太郎『文明における科学』の図・引用者)を見ると・・・西欧は本当にひとつの地域に過ぎないことがよくわかる。我々人間の総体としての知が病にならないためには、これらすべての地域の知が動員される必要があるだろう。”
▼アプローチのとり方
P104
“彼(ニーダム)の研究を貫く特徴は、中国文化が西欧文化と比べて後進的であることを前提としていることにある。”
P104
“・・・変化の緩慢さが直ちに遅滞だと評価されることは正しいことではない。
各文化にはそれぞれの変化の速度があると考えるほうが当然なのであって、事故の変化速度を守ればこそ、そこに育まれる知は健全さを保ちうるのである。
西欧文化があまりにも急速な変化をたどり、しかも、その過程のみを「発展」と看做すことは、西欧文化の知、ひいては我々人間の総体としての知にいろいろの不健全さを招いていると思うべきではないだろうか。”
第二節 中国医学の特質 総論(実践国文学41号) -接触の医学-
▼「気」を媒介とした接触
P109
“中国医学は「気」の存在を前提として成り立っている。・・・「気」は科学的に分析できる実体ではない。けれどもその存在を前提として中国医学は幾千年もの長きに亘って医学としての生命を保ってきている。”
p110
“人間をひとつのバランスをもった存在と看做す考え方は、J・ニーダムの言葉を借りれば「有機体観」とか「有機体哲学」と表現することもできるだろう。病に苦しむ人間をひとつのまとまりのある有機体と考え・・・・・総合的に捉えることは重要なことであって、ことに西洋近代医学が科学の名のもとに病の分析ばかりを事とする現状にあってはことさらその意義は大きい。
病人はまず苦境にある自分をキャッチしてほしいと願う。
人間として治してほしいと願うのであって、けっして物質として分解工事や溶接工事をしてほしいとは思わない。
人間としてのまとまりをなるべく損なわないようにしながらも、かつ、不全・不良を治してほしいと思うものである。
そういう病者をまずもって「気」のバランスをもったまとまりのある存在物と看做す中国医学の意義は大きいとしなくてはならないだろう。”
p110
“中国医学において、患者を一個の有機体と看做すならば、治療する者も同じく一個の有機体と考えるのが本義であって、・・・この医学がまさに治療者と被治療者という二個の有機体のあいだでの医療を我々に提示していることに気づかされる。
この医学が古びたものでありながら新鮮であり続けるのは、それが魅力ある多くの接触の技法を有しているからだと、私は考える。”
第三節 中国医学の特質 各論1(実践国文学42号)
-経穴(ツボ)即ち 接触の位置-
▼接触表層への注目
P177
“体内の「気」のバランスは外邪に接することによって崩れる。
その接触はまず身体の最外表、つまり皮膚で起こるとする
・・・接触が病をもたらすとするのである。(20)”
P187注(20)『黄帝内経』には内因性のやまいについても記述がある。
・・・脱營(=「気」が抜けること)・・・素問・疏五過論など、身体内の「気」が抜けることによって病が起こることを言っている。
しかし、これとても自然・環境につつまれて生きるひとつの有機的存在としての人間が、一種の適応不全を起こしたのであるから広い意味では外界との接触不良によるものであると考えることができる。
中国医学は個々の存在物の独自性よりもむしろ、自然・人間・臓腑などの入れ子構造的接触関係に発想の原点があるのであって、単一の存在物に視点を固定してその内・外を論ずることはこの医学の本義ではない。
P179
「中国医学は病の発生そのもの、病の深い根の先端を対象として発展している医学なのである。
・・・病に対処するとは、病の淵源たる接触そのものに対峙すればよいではないか、中国医学はそう考える。そして接触の表層注意を払う。」
紹介・・・角屋明彦「中国医学の役割」-抜粋2