二つの火-12 人火、石木の火 ① |
第四章 二つの火・・・項目番号は引用者による
一、着想の現場 151
二、昌益は誰を批判しているのか 155
三、太陽の火 158
四、日用の火 162
五、龍火・陰火・天火 164
六、本気と余気 168・・・(注・芳村恂益『二火弁妄』1715に触れている)
七、人火、石木の火 171
八、連続と不連続 174
九、太陽の徳 189
「天に二火ありて地に二火なし」という恂益の主張には、
龍火のような怪しい火への疑念が込められている
龍火は水では消えずかえって火で消す、という説を恂益は一蹴する
これは恂益の師、名古屋玄医の主張でもあった
玄医はこうのべている。「天火もまた物に附くときは、すなはちなほ人火のごときなり。
故に火をもつて滅へず、水をもつて滅すべし。」
七、人火、石木の火・・・①
ところで、「天に二火ありて地に二火なし」という恂益の主張には、
龍火のような怪しい火への疑念が込められている。
『二火弁妄』龍雷火論にいう。天に二火ありて地に二火なし。質は気に対する概念だが、これが張介賓に由来することはあとでふれる。
ひとたび地に降りて質をなすときは、龍火や、雷火や、火珠の火や、木を鑚るの火や、戞石・戞金の火や、
同じく一火にして、物を焼くもまた同じ。
かつみな水をもって消すべし。
龍火のごとき、われいまだこれを見ることを得ず。
雷火のごときは、往々木を焼き、家を焚く。
親たり水をもって救い、これを滅することを見る。
鑚サン、きる/戞カツ、ほこ
龍火は水では消えず、かえって火で消すという節を恂益は一蹴する。「あに物を焚き薪に伝ふるの火にして、火で逐えば自から消えるというのは、
水をもってこれを消滅すべからざるの理あらんや」。「恐らくは鑿空のはなはだしきなり」
(龍雷火論)。
これは恂益の師、名古屋玄医(1628―96)の主張でもあった。
恂益はいう。「余、かつて一日、丹水先生に侍す」。玄医は号を丹水子といった。「先生曰く、雷火の空中にある、跡の求むべきなし。
もしひとたび物を焚くに至らば、すなはち凡火のみ。
まさに水をもってこれを滅すべし、と」 (同前) 。
玄医の著作をさがしてみると、こうした主張はたしかに見いだされる。
『丹水子』には、人火・龍火についての王冰のことばが引かれ、
それについて玄医はこうのべている。
天火もまた物に附くときは、すなはちなほ人火のごときなり。
故に火をもつて滅へず、水をもつて滅すべし。
王氏、「物窮まりてまさにやむ」といふは、
いまだ試みずしていふなり。
(貞享五年刊本、巻上)
では玄医は君火・相火をどうみていたする玄以の説は、
たとえば『医学愚得』に見いだされる。太陽の火を君火となす。
その余の龍火、雷火、および人火、石木の火、みな相火なり。
太陽の火気の到らざるところ、許多の火これを相く。
故に相火といふ。
(君火相火論、『近世漢方医学集成 名古屋玄医』四、
名著出版、1984、619頁)
つづく