市場経済の 「二層構造モデル」・・・佐伯啓思『経済学の犯罪』 |
この一節は、医学に置き換えて読んでも示唆に富んだ内容を持っている。
たとえば、市場経済の「二層構造モデル」との比較は、
「均一構造モデル」伝統医学の「多層構造の人間観」と、に似ている。
近代医学の「単純な物質的人間観」との違い
あるいは、「生産要素が市場経済を支える土台となっている」という部分は、「生活環境(社会と自然)が個人の健康(あるいは病)の土台である」という伝統医学の考えに重なる。
それでは「市場中心主義の誤りは、経済活動のこれらのレベルの区別を怠った点にある」という部分は、どのように読めるだろうか。
佐伯啓思
『経済学の犯罪―希少性の経済から過剰性の経済へ』
(講談社現代新書2012/8)
第一章 失われた二十年―構造改革はなぜ失敗したのか
「社会的土台」を市場中心主義が破壊するp40-41
経済史家のカール・ポランニーは、「市場経済」がうまくゆくためには、それを支える「社会」という土台が安定していなければならない、と述べた。
ここで述べた「生産要素*」は「社会的土台」にかかわるのである。
(*引用者注「労働」「資本」「土地(あるいは資源)」のこと)
私は、生産物と生産要素を区別したが、この区別が重要なのは、生産要素が「市場経済」を支える「土台」となっているからであって、この「土台」には「市場経済」の論理は適用すべきではない。
生産活動が安定的に継続するには生産要素の安定的な供給が無ければならない。
そのためには生産要素をあまりに安易に自由な市場競争の手に委ねてはならないのである。
この「社会的土台」を、「生産要素」だけでなく、われわれの生活を支える「生活条件」へともう少し一般化してもよいだろう。
たとえば、教育や医療は、質の良い労働力を生み出すための条件である。
福祉は、人々が安心して働けることで、市場を支えるための条件になっている。
地域の生活や家族、あるいは地域の人的ネットワーク(「社会的資本」とよばれる)は、そこで労働力が適切に提供されるための条件となっている。
交通や住宅環境もまた労働力が機能するための条件なのである。
もちろん、そこへ食料を含める必要もあるだろう。
それもまた「労働」という商品を再生産するための「生産要素」であり、「生活の条件」だからである。だから、食料の安定供給のために一定の自給率を確保することが必要となる。
これらはすべて市場を支える「土台」であって、それは過度な市場競争にさらされるべきではないのだ。それは生産の条件であり、人々の生活の舞台を提供する。
このポランニーのような経済観を「社会的―市場経済」と呼んでおこう。
重要なことに、これは「市場中心主義」の経済学とは経済観が違っているのだ。
ポランニーのような経済観では、市場経済は「市場競争」と「社会的土台」の二層構造をなしているのである。
市場経済の「二層構造モデル」といってもよい。
これに対して、市場主義経済学は、すべての財を商品化し市場競争のもとへと置く、という均一の市場を想定している。
市場経済の「均一構造モデル」となっている。
だから市場中心主義の誤りは、経済活動のこれらのレベルの区別を怠った点にある。
あらゆる経済活動を市場競争にさらして利潤原理と効率性基準のもとに置こうとする構造改革は、まさに「社会」を破壊しかねないのであり、「社会」の混乱はひいては「市場」の混乱を招くことになるのである。
過度の市場競争化が、その基盤である「社会」の安定性をほり崩すことで逆に自らの首を絞めることになる。
「失われた二十年」の最大の意味はそこにあったといってよいだろう。