三陰交-1三陰交+三陽経 |
三陰交→鍼灸・・・再度掲載
一、三陰交+三陽経
鍼灸学校の授業で、藤木俊郎氏の『素問医学の世界』績文堂1976にある
「四経絡説」(あるいは一陰三陽説)について講義を受けた記憶がある。
その中で藤木氏は鍼灸初心者向けに、三陽経の症状にそれぞれの足の陽経を使うことを提唱している。(末尾参考文献参照)
わたしは開業したてのころ、この一陰三陽の四経絡説(手足合わせて一経とする)が強く印象にに残っていたので、頸部の症状を取るのに工夫してみた。
おもな対象は、肩首こり・寝違え・ムチウチなどが対象なので、疏通経絡を治療の旨とする。駆け出しのころはそのような患者さんが多かった。
頸部なので手の三陽経を使うことにした。
単純化して、太陽経は後谿、
陽明経は合谷、
少陽経は外関。
藤木氏のやり方は陽経のみによる疏通だが、一陰も加えることにした。
それは三陰交で、何故これを選んだのか今となっては定かではないのだが、
これは血不栄に対する養血を考えたのだと思う。
最初のうち三陰交は置鍼だけにして、手の三陽経で手技して疏通していた。
最初に三陰交に鍼して、次に手の穴にする。
当時はほとんど撚鍼で治療していた。
三陰交も撚鍼していたが、刺入し終わったころには、すでに大分首が緩んでいることがあった。
そんな時は手の穴で残りを取るのだが、撚鍼で接触・切皮・刺入と進むまでもなく、案外切皮だけでも効果があったりするのが面白かった。
寝違えなどは、このやり方で一回目に五割から七割がた症状が取れて、
大体二回でほぼ取れることが多い。
ムチウチは程度がいろいろなので、一概には言えないが四、五回くらいで目鼻がつくことが多い。
尻もちをつくと、無意識に首に力が入ってしばしば乳突筋(陽明経)がつっぱることがある。
これも手の陽明経ですぐ取れる。
【参考文献】・・・藤木俊郎『素問医学の世界』績文堂1976(第二章p19-21)
〇数字、太字は引用者が挿入、適当に文節の途中でも改行した。
「立った人間を
①後ろから見ると後頭部、背部、脚の背面はよく見える。
またごく自然に手を下げていれば腕の尺側すなわち小指側も見える。
これらすべては一つの共通の面にあり、生理的、病理的にも共通性があるかもしれないと考えた。
②同じく脇から見れば側頭部、脇腹、足の側面、手の手背に平行な面となる。
③まえから見れば顔面、腹、足の前面ということになる。
④そして良く見えないのは、両足の内面から体内と、手の内面となる。
そこでよく見える面は陽であり、よく見えない面は陰であるとして何の抵抗もないであろう。
ここで中国古代の医者は、背面を太陽、とした。
前面を陽明、
側面を少陽
陰は一つしかないからそのままでよいのだが、伝承では太陰になっている。
背面のほうが前面より陽の度合いが多いというのは、動物の背と腹を考えればすぐ判る。
後になって素問では「背を陽とし、腹を陰とする」規定をする。
陰陽は相対的な規定だからそれと矛盾するわけではないが、今説明している立場は体の表面のすぐ見える面を陽とし、としているのである。
体の内部とよく見えない面を陰
結局のところ頭の上も陽が一番多い太陽であり、背面と同じ面のつづきとなる。
こうして陽の多い順に背面を太陽、と名づけたと思われる。
前面を陽明、
側面を少陽
・・・・・略・・・・
以上、あまり人の言わない四経絡説を述べたが、鍼灸を志す者にとってごく初歩の人体把握としてこれはかなり有効である。
すなわち
①'頭痛とか腰痛など背面の病気の場合、まず足の外踝の後から小指にかけて反応点をさがしてみる。
もちろん膝の後側でもよい。
それに鍼か灸をする。けっこう効果のあるものである。
②'側面の場合は足の第四指から外踝の前に行く線、
③'前面だったら有名な三里から足の第二、第三指に行く線を探す。
④'特に重大なのは危篤に近い状態、意識不明など「陰」と判断される時は、足の裏から内踝の下、後、および足の拇指の後の内面、すなわち普通腎経と脾経と呼ばれている部分を、線にとらわれず反応点をみつけることである。とっさの時に指圧で蘇生させた人さえいるのである。
以上この章で扱ったことはどの時代であるか判らない。
しかし経絡でも傷寒論でも、三陰三陽の六つが普通であり、
ともかくこの四つの考えは古いと思う。」
参考
三陰交-2 ≪一陰三陽≫説の魅力
藤木「四経絡説」-4
藤木「四経絡説」-3
藤木「四経絡説」-2
藤木「四経絡説」1
三陰交-1三陰交+三陽経