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by magicsam
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2013年 02月 27日
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文献メモ→枢機にも追加
⑦の仁熟散には
「虚悸恐怖不寐」
「治肝胆虚、恐畏不敢独臥、并補心以実其子」 とあり、
胆気虚 もしくは 心胆虚怯 に対応している。
④の肝病不寐には、
「証并不煩躁」と 煩躁が無く、
病機は、 「陽浮于外、魂不入肝則不寐」 「真寒仮熱、虚陽上浮」 である。
少陽枢機不利、という表現がある・・・「側臥不得転身者、少陽枢機不利也」
体陰用陽という表現・・・・滑氏補肝散の解説に 「肝体陰用陽」 とある。
『血証論』(中医藥出版出版1996)
巻六・臥寐 「不寐之証有二:一是心病、一是肝病。
①心病不寐者、心蔵神、血虚火妄動則神不安、煩而不寐、仲
景黄連阿膠湯主之。
②陰虚痰擾、神不安者、猪苓湯治之。一清火、一利水。
③蓋以心神不交(心腎不交?)、非痰即火。余毎用
朱砂安神丸加茯苓、琥珀、或天王補心丹。
④肝病不寐者、肝蔵魂、人寤則魂游于目、寐則返肝。
若陽浮于外、魂不入肝則不寐。
其証并不煩躁、清睡而不得寐、宜斂其陽魂、使入于肝、二加龍骨湯加五味子
、棗仁、阿膠治之。
⑤又或肝経有痰、擾其魂而不得寐者、温胆湯加棗仁治之。
⑥肝経有火、多夢難寐者、酸棗仁湯治之;
或滑氏補肝散、去獨活、加巴戟;
四物湯加法夏、棗仁、冬虫夏草、龍骨、夜合皮、亦佳。
・・・略・・・
⑦又有虚悸恐怖不寐之証、仁熟散治之。
⑧思慮終夜不寐者、帰脾湯加五味治之。須参看怔忡煩悸門。
・・・略・・・再按:睡而悪明喜暗者、火邪也。
側臥不得転身者、少陽枢機不利也。
側臥一遍者、詳咳嗽門。」
《方解》(『血証論』中医藥出版出版1996より)
二加龍骨湯 (竜骨、牡蛎、白薇、附子、白芍、甘草、大棗、生姜)
「清散上焦、温補下焦之薬。・・・真寒仮熱、虚陽上浮爲対証。」(p221)
滑氏補肝散 (棗仁、熟地、白朮、当帰、山茱萸、山薬、川芎、木瓜、獨活、五味子)
「肝体陰用陽、此以酸甘補肝体、以辛甘補肝用。」
p209
仁熟散 (柏子仁、熟地、枸杞、五味子、山茱萸、桂心、人参、茯神、菊花、枳殻)
「治肝胆虚、恐畏不敢独臥、并補心以実其子、則肝胆益旺。」
p250
2013年 02月 27日
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診断学→文献メモにも追加
鄧中炎「脾虚諸症の規格化と診断1~2」における脾陰虚の記載
張鏡人の「命門と命門理論の検討」と「三焦初探」
厳世芸の「歴代名家の補陰法について」における李東垣の気虚発熱についての解釈
日本TCM研究所の「膜原について」
などなど、1980代後半から90年代にかけてのTHE KAMPOには
今でも役に立つたくさんの興味深い論文が載っている。
《弁証・診断》
方薬中(中国中医研究院)
「弁証論治の順序と方法について」
THE KAMPO,Vol.6No1,1988/1
鄧中炎(広州中医学院)
「証候と証候の規格化およびその意味1~2」
THE KAMPO,Vol.13No1~2,1995/1~3(73-74号)
鄧中炎
「脾虚諸症の規格化と診断1~2」
THE KAMPO,Vol.13No3~,41995/5~7(75-76号)
(脾陰虚の記載では、文献的根拠として『症因脉治』
『慎斎医書』
『血証論』
『済生方』
『類証治裁』 が挙げられている)
鄧中炎
「腎虚諸症の規格化と関連の実験研究1~2」
THE KAMPO,Vol.13No5~6,1995/9~11(77-78号)
《その他、証についての・・・規範化、診断、歴史、異説など》
張鏡人(上海医科大学)
「暑温と湿温の証治について」
THE KAMPO,Vol.9No1,1991/1(49号)
張鏡人
「命門と命門理論の検討」
THE KAMPO,Vol.9No4,1991/7(52号)
張鏡人
「三焦初探」
THE KAMPO,Vol.10No2,1992/5(56号)
(命名の淵源、有形と無形の論争、三焦の生理と病理、
について歴史的文献を紹介し
最後に自らの分析と意見をまとめている。)
日中・中医学研究討会(1991年上海)から-1ゲスト張鏡人
「三焦をめぐって」
THE KAMPO,Vol.10No2,1992/5(56号)
楊育周(天津中医学院)
「気・血・火・水の代謝と循環について」
THE KAMPO,Vol.7No3,1989/5(39号)
楊育周
「少陽熱病」
THE KAMPO,Vol.7No6,1989/11(42号)
楊育周
「風の理論と臨床」
THE KAMPO,Vol.8No3,1990/5(45号)
(中風の発病における外風説と内風説について、
いずれも廃するべきではないとしている)
伊藤良
「昇陽瀉火法による痛風の治験」
THE KAMPO,Vol.6No5,1988/9(35号)
厳世芸(上海中医学院)
「歴代名家の補陰法について」
THE KAMPO,Vol.10No5,1992/11(60号)
(李東垣の気虚発熱について
“実際には、陰血の不足も包括している。彼の制定した補中益気湯もまた「陽旺ずれば能く陰血を生頭ず」(『内外傷弁惑論・補中益気湯』の理に沿ったものである)”
と指摘。
繆希雍の甘寒補脾陰、魏玉横の集霊膏について言及。)
日本TCM研究所
「膜原について」
THE KAMPO,Vol.12No3,1994/5(69号)
2013年 02月 27日
カテゴリ整理中
診断学→陰気と陰虚にも追加
徹夜の後とか、寝不足が続くとこんな症状がでてくる。
素体が、所謂《陰虚》の人は、平人よりも早く、強く症状が出てくる。
脉は、多くのばあい、右寸の、幅が大きくなり、浮いてくる。
反対に
左尺は、沈んで、弱く なってくることが多い。
◎ 陰気が不足すると虚熱が、上焦や四肢末端(特に手掌から前腕)に停滞する。
手のひらや前腕が火照る、
顏が火照る、顏がかゆい、
頭が熱いかゆい。
鼻腔・口腔の乾燥。
喉のイガイガ。
長くなると、胸に熱たまって、乾燥したセキが出る。・・・など
熱は昇るときにときに、湿を伴うことが多いので、上記部位に湿熱の症状が出ることもある。
顏がむくむ。
手がむくむ。
耳垂れ、
鼻淵がきつくなる、
顏に湿疹が出る・・・など。
熱が、清竅に停滞すると、
目がもやもや良く見えにくい、
耳鳴り、
鼻閉(気道粘膜に湿熱が停滞してふさがる)
・・・など
熱が少ない場合は、気滞の症状が中心となる。
身体後面だと上背部、
後頸部、
後頭部のコリやシビレ、痛み。(腎気上攻)
・・・など 前面だと軽い頭痛・頭重。・・・など
《参考》陰気不足
図-「陰虚の推移と段階」・・・陰気と陰気不足
陰虚・・・・内容・発生機序と種類
2013年 02月 27日
カテゴリ整理中
診断学→枢機にも追加
《傷寒六経病変概論》
原著を探したのだが、手に入らなかった。
なかなか興味深い論である。
参考文献リスト-4・・・カネボーTHE KAMPO関連①収録の「気・血・火・水の代謝と循環について」
THE KAMPO,Vol.7No3,1989/5(39号)
「少陽熱病」
THE KAMPO,Vol.7No6,1989/11(42号) も合わせて読むと、理解の助けになる。
楊育周氏は、枢機と、気血水火の代謝循環を重視する。
論文における、六経の記載順序は、太陽・少陽・陽明と、太陰・厥陰・少陰 となっており、
傷寒論や『素問』熱論(31)とは三陰三陽の順序が違う。
少陽と厥陰がそれぞれ、三陽と三陰の真ん中になる順序で記載されている。
これは、楊育周氏の枢機論では、肝胆を枢機と考えるために、
少陽と厥陰 が枢機とされているためだろうと思われる。
(本来『内経』では、少陽と少陰が枢となっている)
内経の「開・闔・枢」・・・皮部論・陰陽離合論・根結(一)三陰三陽の開闔枢皮部論(素問)・陰陽離合論(素問)・根結(霊枢)
の三か所に記載がある。 (二)皮部論と、根結・陰陽離合論は三陰の記載順が違う。
①三陽の開闔枢という順は共通している。
②根結・陰陽離合論はともに、少陰が最後。
③皮部論では少陰と厥陰が入れ替わって、三陰における闔と枢の順が違っている。
根結・陰陽離合論----太陰・厥陰(闔)・少陰(枢)------開・闔・枢
皮部論--------------太陰・少陰(枢)・厥陰(闔)------開・枢・闔 参考「開・闔・枢」と「枢機論」1
「開・闔・枢」と「枢機論」2
《傷寒六経病変概論》
楊育周(天津中医学院)「傷寒六経病変概論1-序論」
THE KAMPO,Vol.8.No5,1990/9(47号)
「2-太陽病変」
THE KAMPO,Vol.8.No6,1990/11(48号)
「3-少陽病変」
THE KAMPO,Vol.9.No1,1991/1(49号)
「4-陽明病変」
THE KAMPO,Vol.9.No2,1991/3(50号)
「5-太陰病変」
THE KAMPO,Vol.9.No3,1991/5(51号)
「6-厥陰病変」
THE KAMPO,Vol.9.No4,1991/7(52号)
「7-少陰病変」
THE KAMPO,Vol.9.No5,1991/11(53号)
楊育周・安井広迪ほか「傷寒六経病変概論をめぐって」
THE KAMPO,Vol.10.No5,1992/11(59号)
2013年 02月 26日
カテゴリ整理中(症例→腎気上攻症例に追加)
腎気上攻の症例・・・・大腸兪で降気したら、耳下の腫れが引きはじめた
51歳女性
153cm-58kg事務職
【既往】小児ぜんそく
2006右緑内障
2007坐骨神経痛で入院
【今までの治療】いつも疲れてくると、のぼせ、
目疲労、
頭痛、
耳鳴り、
肩こり、
食欲亢進、
腰痛 などが出現。
現在は週一回治療中。
普段は、気滞と陰血不足と陽亢に対応している。肝兪(理気)、
大腸兪(降気)
前頂(降気・理気)、
照海(養陰・降気)、
三陰交(養血・通絡) などを使っている。
2011/12/2(金)
ここ一カ月ほど仕事(事務で座りっぱなし)が多忙。
残業があり睡眠は5-6時間。
休日もときに出勤する。
【12/2の主訴】今回は、肩こり・耳鳴り・目のカスミに加えて、
①昨晩から
右の耳の下が腫れて痛い。
物をかむと痛いので、あまり食べられない。
本人の感覚としては、
顎の付け根・耳の下が膨れている(はれぼったい)感じ
・・・とのこと。
触ると(耳下腺あたり)、左にくらべわずかに腫れており、
圧痛がある。
②今日はさらに、
右耳下から右首全体が突っ張り、
首を回すと右が痛い。
【四診】舌・尖紅薄白苔
脉・やや滑・右寸浮
右の頚部太陽側と少陽側に強いコリ
(左右ともにあるが右≧左)。陽明側には無い。
膏肓コリ(右≧左)
【治療】いつもどおりに、先ずうつ伏せで
膈兪の下あたりで理気する。
次に大腸兪で約一分間ほど降気して、膏肓のツッパリが取れてきた頃に本人曰く「なんかだんだん、右耳の下が緩んで、縮んでくるみたい・・・」 と。
仰向け、
右三陰交で疏通経絡。
首の振り向く動作は次第に改善。
と同時に、耳下のはれぼったい感じが減って、圧痛も減ってきた。
最後に
前頂で上焦の鬱熱を瀉し、
右後谿で、首に残った督脉寄りの太陽経のツッパリを疏通させると、
右首の動作痛と違和感は無くなる。
右耳下の本人の違和感もなし。
圧痛はわずかに残るが軽い。
肩こり・耳鳴り・目のカスミも改善。
よく見える。
【感想】ということで、特別に右耳下に対応はしなかったが
理気・降気・疏通だけ(いつもと同じ治療)で
ほとんど症状が取れてしまった。
特に、大腸兪で降気して
膏肓が柔らかくなったころ同時に、
右耳下も変化し始めたのが印象的だった。
後側と前側、同時に降気できたということか。
2013年 02月 26日
カテゴリ整理中・・・基礎理論にも追加。
少し古いものですが、『臓腑病機の歴史』とも関係するのでアップします。
参考 古い病理観・・・「臓熱・腑寒」(冊繁方)と、「臓寒・腑熱」(難経)
古い虚実分類・・・実熱と虚冷『済生方』
06-3/30版
三因方・温胆湯の「温」について
要旨
温胆湯には、『備急千金要方』(652)と、『三因極一病症方論』(陳言・成書1174)のものがあり、後代には様々な加減温胆湯が作られている。
千金の温胆湯は、南北朝時代(420~589)の姚僧垣『集験方』(580)からの引用らしい。
三因方には、以下のそれぞれに対応した内容の異なる、ふたつの温胆湯がある。
1 心胆虚怯(十巻)
2 胆虚寒(八巻)
①千金温胆湯は二陳湯から、半夏を減らし(四両⇒二両)、茯苓を除き、竹茹・枳実を加え、生姜を増量(七片⇒四両)した構成である。
(末尾に二陳湯・千金温胆湯の処方資料あり。『方剤学(上海)』では生姜七片=3g)
②驚悸(心胆虚怯)にかかわる温胆湯は、『三因極一病症方論(1174)』巻十・驚悸証治に載っている。
心胆虚怯の温胆湯(巻十・驚悸)は、千金温胆湯に茯苓・大棗を加えている。
③三因方巻九・虚煩門には、大病後の虚煩・不眠を胆寒として、巻十・驚悸証治(心胆虚怯)と同じ内容の温胆湯が載っている。
④三因方巻八・肝胆経虚実寒熱証治に載っている肝と胆の実熱・虚寒に対応した四つの処方のうち、胆虚寒に対応するのが温胆湯である。
胆虚寒の温胆湯(巻八)は、心胆虚怯の温胆湯(巻十・驚悸)に麦門冬・酸棗仁・遠志・桂心・黄芩・萆解・人参を加え、竹茹.枳実を去ったもので、補寫兼施しているといえる。
⑤オリジナル温胆湯の「温」は、古くは府虚に対する補という意味で用いられていると思われる。
しかし三因方の時代には、処方内容も加減され、病理観と分類原理も変わってきたため、処方内容に対する、名前及び分類原理それぞれの間に矛盾生まれてしまった。
⑥実際の処方、特に胆虚寒に対応する巻八・肝胆経虚実寒熱証治の温胆湯は、扶正と去邪の両方に対応している。
本論
1三因方・驚悸(心胆虚怯)と虚煩(胆寒)の温胆湯
(1)巻十驚悸証治には、心胆虚怯に対する処方として、温胆湯が載っている。
(この巻十・驚悸の温胆湯は千金温胆湯に、茯苓・大棗を加えたものだ。
処方構成は千金・温胆湯にほぼ同じ。)
巻十・驚悸証治の温胆湯・・・・(『三因極一病症方論』人民衛生1983以下同)
『治心胆虚怯。触事易驚、或夢寝不祥、或異象惑。
遂致心胆虚怯、気鬱生涎。涎与気搏,変生諸証。
或短気悸乏,或復自汗,四支浮腫,飲食無味,坐臥不安。
半夏・竹茹・枳実・各2両、 橘皮3両・甘草炙1両、白茯苓1両半・右爲剉散、毎服四銭、水一盞半、
姜5片・棗1固、 煎七分、去滓、食前服』
懾(しょう)おそれる・怖気づく
(2)巻九虚煩門にも巻十驚悸とおなじ内容の温胆湯が、胆寒に対応する処方として紹介されている。
巻九・虚煩門の温胆湯『温胆湯 治大病後、虚煩不得眠.此胆寒故也。
此藥主之。又治驚悸。
半夏、竹茹、枳実 各2両、 陳皮3両、甘草炙1両、 茯苓1両半・右爲剉散、毎服四銭、水一盞半、
姜5片・棗1枚煎七分、去滓、食前服』
2三因方・胆虚寒の温胆湯
(1)三因方巻八・肝胆経虚実寒熱証治には以下のように、四つの処方があるが、その内の胆虚寒に対する処方が温胆湯である。
巻八・胆虚寒の温胆湯は、巻十驚悸・温胆湯に、麦門冬・酸棗仁・遠志・桂心・黄芩・萆解・人参を加え、竹茹.枳実を去ったものである。
巻八・肝胆経虚実寒熱証治の温胆湯
『治胆虚寒、眩厥足萎、指不能揺、躄不能起、僵僕、目黄、失精、虚労煩擾、因驚胆懾、奔気在胸、喘懣、浮腫、不睡。
半夏、麦門冬各1両半、 茯苓2両、 酸棗仁3両、
炙甘草、桂心、遠志、黄芩、萆解、人参各1両
右爲剉散、毎服四大銭、用長流水一斗、じゅ米煮、如瀉胆湯』
(2)参考として、肝胆経虚実寒熱証治につづく『三因極一病症方論』の心小腸・脾胃・肺大腸・腎膀胱・心主三焦の各経の処方をまとめて示す。
1肝胆経虚実寒熱証治
実熱 虚寒
1瀉肝湯・・・・・・・肝実熱 3補肝湯・・・・・・・肝虚寒
2瀉胆湯・・・・・・・胆実熱 4温胆湯・・・・・・・胆虚寒
最後に「一方見虚煩門」とある。
2心小腸経虚実寒熱証治(五処方)
実熱 虚寒
1瀉心湯・・・・・・・心実熱 3茯苓補心湯・・・・・心虚寒病
2清脉湯・・・・・・・小腸実熱 4温脾湯・・・・・・・・・小腸虚寒
その他・分気補心湯・・・・心気鬱結
3脾胃経虚実寒熱証治
実熱 虚寒
1清脾湯・・・・・・・・脾湿熱病 3補脾湯・・・・・・・・脾虚寒病
2平胃散・・・・・・・・胃実熱 4養胃湯・・・・・・・・胃虚寒
4肺大腸経虚実寒熱証治
実熱 虚寒
1清肺湯・・・・・・・・肺実熱 3補肺湯・・・・・・・・肺寒虚
2瀉白湯・・・・・・・・大腸実熱 4固腸湯・・・・・・・・大腸虚寒
5腎膀胱経虚実寒熱証治
実熱 虚寒
1清源湯・・・・・・・・腎実熱 3温腎散・・・・・・・・腎虚寒
2瀉脬湯・・・・・・・膀胱実熱(脬=ほう) 4補脬湯・・・・・・・・膀胱虚冷
6心主三焦経虚実寒熱証治
実熱 虚寒
1清膻湯・・・・・・・・右腎実熱 3益志湯・・・・・・・・右腎虚寒
2潤焦湯・・・・・・・・三焦実熱 4安中散・・・・・・・三焦虚寒
3虚寒(虚冷)に対する処方に使われた「温」
(1)分類法について
以上を見てわかるように、三因方における十二経または臓腑(注1)の寒熱・虚実の分類は、実熱と虚寒(虚冷)という組み合わせのみである。
(例外・脾には湿熱がある。)
また、三因方巻八の五労証治には、五臓が傷られた場合の処方が載っているが、ここでも五臓の勞が、実熱と虚寒のみで分類されている。
(注1)・〇〇経証治とトタイトルされているので経のようにも思えるが、本文には経の文字は一回しか使われておらず、経なのか臓腑なのかあいまいである。千金の場合は、胆実熱の条文に「左手關上脈陽実者、足少陽胆経也。・・・・治胆府実熱・・」とあるので経という言葉で、藏府も表していたのかもしれない。あるいは手の脉で経と藏府と両方を診断していたのか・・・。末尾千金の条文参照のこと。
(2)千金から三因方まで
この時代までの臓腑の虚実分類をみてみると、別添資料「臓腑の虚実と、その補寫論の歴史概説」のようになる。
①千金では虚実寒熱に関しては、やはり実熱と虚寒の組合せしかない。
②又聖恵方では実則生熱=肝気実、虚則生寒=肝虚、肝臓虚損気血不栄内傷寒冷=肝気不足となっていて、これもほぼ実熱・虚寒の組合せに近い。
③千金(652)から聖恵方(992)までの時代は、この実熱・虚寒という組合せの分類方法が、支配的だったようだ。
現在のような虚熱・寒実は無い。
そして虚といえば機械的に虚寒となり,実といえば同じく実熱となってしまうような分類法である。
(3) 温胆湯が作られた時代と「温」の意味
小金井信宏氏によれば、温胆湯は南北朝時代(420~589)の『集験方』から、千金に引用されていおり、温胆湯が作られた時代には「藏熱府寒」という病理観・弁証法があって「藏の病は熱、府の病は寒」という発想からつけられた方剤名だという。(中医臨床88号)
したがって、古くは温胆湯の「温」は古い病理観に基づいて、府病=寒に対する補という意味で用いられているのかも知れない。(『集験方』を見ていないので不明)
(4) 処方内容と処方名・分類原理が、矛盾
しかし三因方では、南北朝の古い処方を、唐・宋の新しい(おそらく南北朝と違う)分類法によって分類している。
そして処方名はそのままで、内容は加減して使っている。
しかもその分類法自体も、三因方当時の処方内容を表すには不十分なのだ。
それで
1処方内容と処方名
2処方内容と分類原理
それぞれが、矛盾してしまっているのではないだろうか。
古い分類(姚僧垣『集験方』(580))でも、やはり胆寒と呼ばれいたのだろうか。
手元に資料がないので不明である。(2012/11/6この項を補正した)
(5)実際の処方内容
しかし、実際の処方内容(三因方温胆湯)は補寫兼施であり、扶正・去邪の両方を行っている。
三因方巻十驚悸証治では、「心驚胆懾、気鬱生涎。涎与気搏,変生諸証。」と病機を分析しており、処方も清熱と化痰に重点がある。
とくに巻八・胆虚寒の温胆湯は、巻十驚悸・温胆湯に、麦門冬・酸棗仁・遠志・桂心・黄芩・萆解・人参を加え竹茹.枳実を去ったものであり、よりはっきりと補寫兼施であることが分かる
(6)小腸虚寒の温脾湯
温と言いながら補寫兼施であることは,巻八・心小腸経虚実寒熱証治にある小腸虚寒の温脾湯にもいえる。
温脾湯(巻八・心小腸経虚実寒熱証治)
『治小腸虚寒、苦頭偏痛、耳頬疼。
下痢赤白、腸滑、腹中疓痛、裏急、後重 姜1、 当帰、黄檗、地愈、各2、 阿膠、茴香、石榴皮、黄連、各1』
温脾湯の処方内容も、黄檗、地愈、各2両、黄連、各1両と、苦寒藥が使われていることから、小腸虚寒といいながら実は、虚実寒熱挾雑に対する処方であると考えられる。
実際にやっていることは、暖めることではなく、邪を取り去り正気を補うことである。
なお、小腸の虚寒(火虚)の方剤名が温脾(補脾、補土)なのは、巻八・内思所因論で
「若其子母相感、則母虚能令子虚、子実能令母実。
経曰、実則瀉母、虚則補子。如百姓足、君孰与不足。
此経之本義也。
難経則反是。
・・・・・千金亦云、肝虚当補心、心旺則感於肝。」
とあるので、「母虚(小腸・火)は、補子(脾・土)する」という考え方(注2)に基づいて、小腸府の虚に対し、子である脾を補うという意味での温脾湯の「温」なのだろう。
(注2)この補子法は、謝士泰『刪繁方』(652)の勞則補子法に基づくもので、千金や普済本事方(許叔微1079~1154)などにも、虚損の治療法則として採用されているという。(「中医学術史」上海p197参照)
(7) 虚火を補う治法
別添資料「臓腑の虚実と、その補寫論の歴史概説」にある、張元素『臓腑標本寒熱虚実藥式(1186)』の「胆病用藥」における記述では,温胆は虚火を補う治法とされている。
胆病用藥
実火瀉之・・・・瀉胆:竜胆草、牛胆、猪膽、等
虚火補之・・・・温胆:人参、細辛、半夏、蕤仁、酸棗仁、当帰、等
また末尾付録資料④の医方集解には次のようにある。
「胆以温爲候、虚則寒、寒則不眠。
驚悸亦於胆虚。
虚火上溢故口苦。嘔吐多属半表半裏少陽胆経之邪。
胆虚気鬱、致脾生痰涎而煩嘔。」
4 最後に
『千金から聖恵方までの時代は、この実熱・虚寒という組合せの分類方法が、支配的だったようだ。現在のような虚熱・寒実は無い。そして虚といえば機械的に虚寒となり,実といえば同じく実熱となってしまうような分類法である。』と書いた。
実は「陰虚生内熱」という語が、虚煩証治(三因方巻九・ここに温胆湯もある)や、脹満証治(巻十一)にある。
虚煩証治(三因方巻九)
虚煩者、方論中謂所心虚煩悶、是也。
大抵陰虚生内熱、陽盛生外熱、外熱曰燥、内熱曰煩。
此不分而分也。
傷寒大病不復常、霍乱吐瀉之後、皆使人虚煩悶。
婦人産褥、多有此病。
其証、内煩身不覚熱、頭目昏痛、
口干咽燥不渇、淸淸不寐、皆虚煩也。
方例有虚煩近傷寒之説。不可不弁。
又平人自汗小便頻併、遺泄白濁、皆憂煩過度之所致。
傷寒属外因、憂煩属内因、霍乱兼不内外因。
学者当弁析而調治。
淡竹茹湯・・・治心虚煩悶、頭疼、短気、内熱不解・・・
温胆湯・・・治大病後虚煩不得眠。此胆寒故也・・・
酸棗仁湯・・・治霍乱。吐下増劇・・・
胸滿証治(三因方巻十一)
七物厚朴湯
治腹満発熱、以陽并陰、則陽実而陰虚、陽盛生外熱、陰虚生内熱、
脈必浮数、浮則爲虚、数則爲熱、陰虚不能宣導、飲食如故、致脹満者爲熱脹。
厚朴一両、 炙甘草、大黄各3銭3字、 枳実半両、 桂心一分、
右爲剉散、毎服四大銭、水盞半、姜七片、棗三個、煎七分去滓食前服
しかし朱丹溪以後の「陰虚」による虚熱、という概念と同じかどうかは確かではない。
参考文献
『備急千金要方』遼寧科学技術出版1997
『三因極一病症方論』人民衛生1983
中医臨床88号 (2002,3月号)
『中医学術史』上海中医学院出版1989
『臓腑標本虚実用藥式』張元素・中医古籍出版1994
『医方集解』(1682清・汪昂)中国中医薬1997
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《付録・参考資料》
①二陳湯(和剤局方)・・・・・・・・『方剤学』上海中医学院出版1990より
<組成> 半夏・橘紅・各四両、 白茯苓三両 、甘草(炙)一両半
<製剤・用法>ふ咀、毎服四銭、用水一盞、 生姜七片、 烏梅一個、同煎六分、去滓熱服、不拘時候、(生姜七片=3g)
②千金の胆虚寒と胆実熱・・・・・・・温胆湯と半夏千里流水湯
(『千金方』巻十二胆府・胆虚実第二) 遼寧科学技術出版より
「胆虚寒
左手關上脈陽虚者、足少陽胆経也。病苦眩厥痿、足趾不能揺、躄不能起、僵仆、目黄失精〇〇名曰胆虚寒也。
治大病後、虚煩不得眠、此胆虚寒故也。宜服温胆湯方
半夏、竹茹、枳実、各2両、 橘皮3両、 生姜4両, 甘草1両
上六味、ふ咀、以水八升、煮取二升、分三服
胆虚、灸三陰交各二十壮。穴在内踝上一夫」〇=目+亡+川
「胆実熱
左手關上脈陽実者、足少陽胆経也。病苦腹中気懣、飲食不下、咽干頭痛、洒洒悪寒、脇痛、名曰胆実熱
治胆府実熱、精神不守、瀉熱、半夏千里流水湯方
半夏、宿姜、各3両、 生地黄5両、 酸棗仁5合、
黄芩1両、 遠志、茯苓、各2両、 米一升
上八味ふ咀、以長流水五斗煮秫米、令蟹目怫、揚之三千遍、清澄、取九升煮薬、取三升半、分三服。
胸中胆病、灸濁浴随年壮、穴在挟胆兪傍行相去五寸」
胆実熱の処方半夏千里流水湯方の後には細字で次のように、姚僧垣《集験方》からの引用らしいことが記されている。
《集験方》治虚煩不得眠、無地黄、遠志。有麦門冬、桂心各2両、甘草人参各2両。
胆虚寒の温胆湯に関しては、細字注はないが、『医方集解』(1682清・汪昂)には、巻上之六・和解之剤・温胆湯の項で方剤名の後に《集験》と、出典が記されている。
③方剤内容比較
二陳湯
半夏・橘紅・各4両、 白茯苓3両、 甘草(炙)1両半、生姜7片(3g)、烏梅1個、
千金温胆湯
半夏、竹茹、枳実、各2両、 橘皮3両、 生姜4両, 甘草1両
三因方・巻十・驚悸証治の温胆湯
半夏・竹茹・枳実・各2両、 橘皮3両・ 甘草炙1両、 白茯苓1両半
姜5片・棗1固、
三因方・巻八・胆虚寒の温胆湯
半夏・麦門冬・各1両半、 茯苓2両、 酸棗仁3両、 炙甘草、桂心、遠志、黄芩、萆解、人参各1両、・・じゅ米煮、如瀉胆湯
④医方集解の解釈
『医方集解』(1682清・汪昂)巻上之六目和解之剤の温胆湯方解には、興味ある解釈が載っているので抄録する。
(太字は本文。細字は注。)
治胆虚痰熱不眠、虚煩驚悸、口苦嘔涎。
胆以温爲候、虚則寒、寒則不眠。驚悸亦於胆虚。虚火上溢故口苦。
嘔吐多属半表半裏少陽胆経之邪。胆虚気鬱、致脾生痰涎而煩嘔。
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此足少陽、陽明薬也。橘半生姜之辛温、以之導痰止嘔、即以之温胆。
痰在胆経、神不帰舎、亦令人不寐
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清肺金之燥、涼肺金則所以平甲木。
胆爲甲木、金能平木。
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内経半夏湯治痰盛不眠。・・・略・・・半夏除痰而利小便、じゅ米益陰利大腸、使上下通則陰陽和矣。
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経曰、臥則血帰于肝。
昴按、本草云、棗仁炒用治胆虚不眠、生用治胆熱好眠。
窃謂胆熱必有心煩口苦之証、何以反好眠乎。
温胆湯治不眠、用二陳加竹茹、枳実、二味皆涼藥、乃以涼肺経之熱。
非以温胆経之寒也。其温胆名湯者、以胆欲不寒不燥常温為候耳。
胆熱好眠、不能無疑。
以上・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これは06-3/30版です。
03/3/28版の3の(4)~(6)は誤りを直し、すこし書き換えた。
要旨等の胆虚寒(八巻)の処方説明に、加・麦門冬、去・竹茹.枳実が抜けていたので訂正。
同じく十巻驚悸・温胆湯は千金に茯苓・大棗を加える・・・に訂正。
千金と三因方の、引用原文の省略部分を補充した。
最後に、方剤比較を入れた。
・・・・・・などなど何回か見直してまちがいを訂正したり、追加をした。
急いで作ったのでまだミスがあるかもしれない。
まちがい見つけたかたは、教えてください。
2013年 02月 25日
奴隷について、以前もいくつか記事にしたが
現代の奴隷制 について、副島隆彦が『隠されたヨーロッパの血の歴史』で、以下のように言及している。
「イエズス会自身が、大々的に奴隷売買をやっていた」というのは、知らなかった。
ドミニコ会などの一部は、反対したらしいが、
やはりローマ教会は植民地での奴隷制を認めていたようだ。 ジャック・アタリ 「1492 西欧文明の世界支配」p346
「たとえイサベルが、インディオを奴隷にしたり、その土地を収用したりすることを禁止し、インディオたちが法的にはスペイン人と平等の、王国の臣民としてみなされるようはっきり要請しても、ローマ教会は―一部のドミニコ会士とフランシスコ会士をのぞいて―生まれつきの奴隷に関するアリストテレスの教義を認め、インディオを劣った野蛮な存在とみなす。」
“あそこで人間たちの空気、「ニューマ」「エトス」が変わったのだ。
それを簡単に言うと「奴隷労働を認めない」という思想だ。・・・
北ヨーロッパで16世紀に成立した市民の気風だ。”
という部分は、今一つ納得できない。
しかし、メディチ家の後押しによる新プラトン主義が、ルネサンスに果たした役割については
良く解った。
参考 2012年 05月 23日
歴史を知ろう-10・・・・大西洋の三角貿易と「奴隷」
2012年 07月 02日
歴史を知ろう-14 奴隷貿易と資本蓄積・・・『近代ヨーロッパの誕生 』(講談社選書メチエ )
2013年 02月 16日
シュタイナー『悪について』副島隆彦『隠されたヨーロッパの血の歴史』
2012年 04月 16日
歴史を知ろう‐5 松原 久子『驕れる白人と闘うための日本近代史
副島隆彦
『隠されたヨーロッパの血の歴史』KKベストセラーズ(2012/10/26)
第五章 イタリアが分らないとヨーロッパが分らない
p256-259(一部省略して引用)
小泉純一郎、竹中平蔵が奴隷売買を復活させた
だから、リベラリズム、自由主義というと「無前提にすばらしいもの」と、日本人は思い込んでいる。
けれども、そんなに無条件にきれいなものではないのだ。
リベラリズムの背景には穢らしい人身売買、奴隷売買を認める性質がちゃんと張り付いている。
それでもルター革命以来の、“北方ルネサンス”(オランダが中心)のプロテスタント革命で何が変わったかというと、気風が変わった。
この気風のことを「エートス」と言っても、「タイプ」と言っても、「モード」といってもいい。
あそこで人間たちの空気、「ニューマ」「エトス」が変わったのだ。
それを簡単に言うと「奴隷労働を認めない」という思想だ。
・・・北ヨーロッパで16世紀に成立した市民の気風だ。
しかしフィレンツェをを含めたイタリアの都市の商人たちはまだ奴隷売買をやっていた。そのことをヨーロッパ歴史学はずっと隠している。学者たちがいけないのだ。
イスラム商人、インド商人、華僑、ユダヤ商人たちと同じように、イタリア商人もスペイン商人も、奴隷売買をやっている。
・・・誰がそんな人身売買(ひとさらい)や、大量の売春業や麻薬業の穢い取引のことまで帳簿に書くか。
・・・もっと恐ろしい本当のことを書こう。
ローマ教会とその尖兵であるイエズス会自身が、大々的に奴隷売買をやっていた。
そうやって教会・教団の運営費を稼ぎ出していたのだ。
・・・日本の徳川氏(江戸幕府)が、何故、やむにやまれず鎖国を断行したのか。
それは、日本側が、八幡船と呼ばれる黒塗りの十字架のついた大形スペイン船で、買って集めた日本人の少女たち(色白で高く売れた)を大量に積んで、スペインとイエズス会が、東南アジアにどんどん売っていた。この事実を幕府が知ったからだ。
今の日本にも実は、奴隷売買はある。
小泉純一郎と竹中平蔵がやった「規制緩和(デレギュレーション)」と「労働基準法の改悪(破壊)」がそれである。
竹中平蔵らが唱えた「自由化」は、奴隷売買を認める思想だった。
それで企業は、正社員をばさばさ切り捨てて、派遣や長期アルバイトに切り替えていった。
コンビニ店やファミレス店の店長でも正社員ではなくて、長期アルバイトの者に店長をやらせている。
一日18時間ぐらい働かせ掌、店長の名前だけ与えて5万ぐらいの手当だけやって、死ぬほどこき使って、そして過労死させていく。
みんなアルバイトだから奴隷労働なのだ。
2013年 02月 22日
2013年 02月 21日の、原因と結果の取り違え・・・浜六郎「命を脅かす医学常識」
という記事は、なぜか同じものが同時に二つ、表示されてしまった。
それとは知らず、おかしいなと思いながら、それぞれの記事にべつべつの補正をしてしまった。
そのまま置いておくことにする。
2013年 02月 21日
コレステロールと動脉硬化の関係は ・・・CO2温暖化説における原因と結果の取り違え(意図的な)にも通じる・・・ なんとも情けない、あてにならない説らしい…。
やはりね・・・。
浜六郎
『命を脅かす医学常識』宝島文庫2012/2
パート2
血圧とコレステロールは薬で下げてはいけない
p58
動脉硬化の主因はコレステロールではない
「持続的ストレスの結果、血圧が上昇し、コレステロールが高めになっているのは、できた傷を治すための反応なのですから、必要があって血圧は高くなり、コレステロールも高くなっているのです。
・・・・
つまり血圧やコレステロールの上昇は、結果であって、動脉硬化の原因では決してないということです。・・・」
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